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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)801号 判決 1963年2月25日

原告 秋山藤元 外一名

被告 国

訴訟代理人 河津圭一 外四名

主文

一、原告等の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(一)  原告等は、被告国は、

(1)原告秋山藤元に対し、金三七六万三、八五二円

(2)原告秋山たけに対し金六二万〇四五六円および

(3)各原告に対しこれに対する昭和三五年二月一〇日より各完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

(4)訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求め、

(二)  被告は

(1)原告等の請求を棄却する。

(2)訴訟費用は原告等の負担とする。

との判決を求めた。

第二、請求原因並びに被告の答弁

(一)  原告等はその請求原因として次のとおり述べた。

(1)原告等は夫婦であるが、昭和三年訴外カナダ国ヴアンクヴアー市所在日本共立学校の教師として勤務するため、右カナダ国に入国居住し、その後昭和一八年一一月に帰国したものである。

(2)原告等は右帰国する当時、カナダ国に於いて次項(3) 記載の財産を所有していたが、右財産は第二次世界大戦の勃発と共にカナダ政府により接収されるところとなつたが、大戦終結後右財産は日本国との平和条約第一四条(a)2(1) の規定によつてカナダ政府の留置するところとなり、且つ同政府がその処分権を取得するところとなつたので、原告等が右財産の返還を請求することは不可能となつた。

(3)原告等がカナダ国において所有していた財産は

原告秋山藤元の財産として、七、五九八・五〇弗(邦貨換算金二七九万六、一七二円)及び九六〇磅(邦貨換算金九六万七、六八〇円)並びに原告秋山たけの財産として一、六八六・〇七弗(邦貨換算金六二万〇、四五六円)である。

(4)前記日本との平和条約第一四条(a)2(1) にいわゆる「各連合国は次に掲げるもののすべての財産、権利及び利益でこの条約の最初の効力発生の時にその管轄のもとにあるものを差押え、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する。」との規定により、連合国が原告等の在外財産を処分し、その結果、原告等に於いてその所有権財産の返還請求が不可能となつた。この事実は日本政府が右平和条約を承認し、その第一四条(a)本文に云う如く日本政府が連合国に対し損害賠償義務を負担し、右賠償義務の履行のために、日本国民が各連合国管轄下に所有した財産を犠牲に供したことを意味する。これは結局日本政府がその国民の私有財産を、国民の意思に基くことなく公共のために用いたもので、公用収用と性質を同じくするから、当然日本政府は原告等に対し、憲法第二九条三項に基き原告等の損失を補償すべき義務を負うものである。

被告は、右平和条約第一四条(a)2(1) は日本国の在外財産に対する外交保護権の行使を差控える趣旨にすぎないと主張するけれども、右規定は積極的に連合国が日本国民の財産を処分することを認めたもので、財産所在地である連合国の主権に基く国内措置としての処分行為の結果と謂うべきでなく、日本政府自身による処分行為の結果というべきである。従つて原告等の有した財産返還請求権を喪失せしめた政府の行為は憲法第二九条三項に該当するものである。

(5)又、被告は、憲法第二九条は抽象的、一般的規定で、直接に国民に対し具体的請求権を認めるものではない旨主張するが右条項はそれ自体実体法規の性質をもつので、これに基き現実に正当な補償を請求しうる。

(6)よつて、原告等は被告国に対し、原告藤元に対しては右補償金三七六万三、八五二円、原告たけに対しては補償金六二万〇、四五六円、および右金員に対する本件訴状送達の翌日である昭和三五年二月一〇日から右完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(二)  被告は請求原因に対し次のとおり述べた。

(1)請求原因事実、第(1) 項記載の事実は認める。

(2)原告等がその主張のような財産をカナダ国において所有していた事実は知らない。

(3)第二次世界大戦勃発当時、原告等がカナダ国において所有していたとすれば、カナダ政府により右財産が敵産管理措置を受けたこと、および日本国との平和条約発効後カナダ政府が同条約第一四条(a)2の規定により右財産の処分権を有するに至つた事実は認める。

(4)請求原因第(4) 、(5) 項記載の法的見解は正当なものではない。原告等は、日本政府による原告等国民の在外財産処分承認の行為は、日本国が負担する賠償債務履行のため原告等の私有財産をこれに充当処分したものであり、従つて公用収用に当る旨主張するけれども、右平和条約の賠償規定は独自の性格を有するもので、単純にその規定から、日本国に戦争行為による一定の損害賠償債務があり、その履行のために日本国によつて右平和条約第一四条(a)2(1) の承認が行われたものと断定することはできない。何故なれば、そこに云う賠償は、一般的に戦勝国が戦敗国に対し、勝利者として財貨を要求するにつきこれを正当化するための形式的概念と考えられるからである。この事は、右平和条約第一四条(b)項および第一九条(a)項を見ても、当事者の損害処置の問題につき、両当事国の損害額は勿論、その損害のいずれが多く、いずれが少ないかさえも論ずることなく、これらを相互放棄によつて包括的に処理する形をとり、又右第一四条(a)2(1) により連合国の処分を承認する在外財産の価額は各連合国の損害と一定の比例をなすものでないのみならず、右連合国中には直接交戦せず、格別の損害を受けていない国が含まれている事実からもうかがいうるところである。又、右承認の対象となる財産について、その権利変動を生ぜしめうるのは、日本政府ではなく、連合国である。右第一四条(a)2(1) は、連合国の管轄下にあるわが国およびわが国民の財産に対し、連合国がその主権に基いてその国内措置としてこれを処分することを承認したもので、日本政府としては日本国民の在外財産に対する外交保護権の行使を差控えるという趣旨のものである。従つて、本件在外財産の承認は右財産の権利変動の原因にあらずということができる。叙上の二点よりみて、日本政府の右平和条約第一四条(a)2(1) の承認は効用収用に該当しないものというべきである。

更に、原告等の本件損害は一種の戦争損害である。平和条約における在外財産処分の実体は、連合国が戦勝者として、日本国および日本国民の在外財産をほしいまゝに処分せんとする意図を有するのに対し、既に無条件降伏を余儀なくされた敗戦国日本としては連合国と対等な立場で平和条約を締結することは不可能事に属し、右承認行為は不可避のものであり、その意味でむしろ形式的なものというべく、これをもつて原告等の損害の実質的原因とみることはできない。そうとすれば、原告等の損害は敗戦による犠牲であつて、一般国民が戦争災害により蒙らざるを得なかつた不可避的損害とその性質を同じくするものである。従つてこれら二つの損害は同一の観点で評価、処理されるべきもので、その補償の要否、程度は政策的に処理解決されるべきで、これを平常の状態における個々の財産権の収用及び補償の問題と同一に考え、憲法第二九条三項を以つて議論することを得ないものである。

仮りに、本件在外財産承認が公用収用に当り、憲法第二九条三項の適用があるとしても、右憲法の条項から直ちに補償請求権は発生しない。右条項が抽象的、一般的規定にすぎないか、具体的実体的規定であるかについては見解が分れるところであるが右条項にいう正当な補償とは公用収用の性質に鑑み、その当時の経済状態に於いて成立すると考えられる当該財産の価格に基いて合理的に算出される相当な額をいうのであり、その補償額は関係事情を考慮して法律により具体的に定めらるべきもので、従つて右の請求権はかような法律に基いてのみ具体的に発生するものと解するを相当とする。とすれば、かような法律によらず、直接憲法の右条項に基きなされた原告の本訴請求は失当である。

第三、証拠<省略>

理由

一、原告等が、その主張のように、昭和三年以降昭和一八年一一月に至る間、カナダ国ヴァンクヴァー市所在の日本共立語学校教師としてカナダ国に居住した事実については当事者間に争いはなく、成立に争いのない甲第一号証の一、二によれば、カナダ国において原告等が昭和一八年一一月帰国する当時原告秋山藤元は七、五九八、五〇弗および九六〇磅、原告秋山たけは、一、六八六、〇七弗の各財産を所有していた事実が認められる。そして、原告等所有の右財産がカナダ政府により敵産管理措置を受け、その後、日本国との平和条約の発効に伴い右平和条約第一四条(a)2により処分を受け、原告等の右財産の返還請求が不能となつた事実については、当事者間に争はない。

二、原告等は日本国との平和条約(以下、単に対日平和条約と称する。)第一四条(a)2の規定に基き、日本政府が、連合国に対し原告等所有の在外財産の処分を承認した行為は、日本国が連合国に対し負担する損害賠償義務履行のために、原告等国民の私有財産を充当したものであつて、憲法第二九条第三項にいわゆる公用収用に該当し、日本政府は右財産につき補償すべき義務を負う旨主張する。そこで原告等の右主張の当否について判断する。

(イ)憲法第二九条三項の趣旨は、公共目的達成の必要があるときに限り、国その他の公権力は国民の私有財産を制限、収用することができ、且つその場合は、国その他の公権力は、国民の蒙る損失を補償すべき義務を負うとするに在る。従つて、本項により国民の私有財産を収用、又は制限し得る主体は国その他の公権力に限定され、その場合に限つて正当な補償を必要とするものである。しかして、対日平和条約第一四条(a)2(1) は、各連合国は日本国民の在外財産を「差押え、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する。」と規定する。この規定の趣旨は、右平和条約第一四条(a)2(1) に於いて承認の対象となつている日本国民の在外財産について、権利変動を生ぜしめる(処分する)のは日本国ではなく連合国であり、連合国はその管轄のもとにある右財産を自からの主権に基き処分するや、否やの自由を有し、日本国政府としては、唯連合国による右処分に対し異議がないこと、換言すれば、右の財産に対しては日本政府は国際法上有する外交保護権を放棄すると云うに在る。とすれば原告等がその所有する在外財産を喪失するに至るのは、連合国の財産処分行為に基因するのである。日本政府のする右財産の処分承認が原因ではない。従つて、原告等の右財産を処分したものが連合国であるとみられる以上、日本政府その他の公権力が財産処分の主体であることを前提とする憲法第二九条三項の公用収用に該当しないと云わねばならない。

(ロ)  また原告等は連合国が日本国民の在外財産を処分する権限を有するに至つたのは、日本政府が対日平和条約を受諾して国民の在外財産に対する外交保護権を放棄したからにほかならない。

日本政府の右外交保護権の放棄を、原告等国民の立場から見れば、実質的には日本政府が連合国に対し負担する賠償義務を履行する目的で、原告等の在外財産を収用したと同じ結果になる旨主張するので更にその点について検討する。

対日平和条約第一四条(a)本文は「日本国は戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して連合国に賠償を支払うべきことが承認される。」と云う。これは勝者である連合国が、敗者としての日本国に対し一方的要求をするにつき、この要求を形式上正当化するための文言であり、右(a)本文に所謂「賠償」も戦勝国が戦敗国に対し、勝者として一方的に強要する財貨であると云い得る。

右のごとく対日平和条約第一四条(a)本文そのものは形式的修辞にすぎず、法的に独自の意義を見出し得ないものとすれば右第一四条の実質的意義は(a)1(a)2の文言にあつて、連合国の実際上の意図もそこに存するものと解される。そこで、第一四条(a)本文と(a)2(1) の規定の関係がかようなものであることを前提として、本条(a)2(1) によつて連合国に認められる「賠償」を考察するに、ここに於ては戦争責任が戦勝国、戦敗国のいずれの側に在るとすべきか、当該連合国が果して損害を蒙つているか否か、或いは損害があるとして、その損害の額は何程かの諸点を一切問題とせずそれら諸点につき確定するところがない。

唯、それはたまたま日本国民の財産が戦勝国である連合国の管轄下に存在する事実そのものに基いて連合国が賠償の名に於いて右の財産の処分を欲するものであると認められる。

すなわち、対日平和条約第一四条(a)2(1) に云うところの「賠償」は前述の特異性を具有する特殊なものといわなければならない。(そして、本条にいう賠償がかかるものであればこそ、通常の賠償と異る戦争賠償と解すべきものと思われる)

更に、右賠償は、戦勝国内に敗戦国々民の私有財産が存在する事実に基き、勝利者がその在外財産の額のいかんを問うことなく、右財産の限度で、勝者たる地位に基いて要求するものである。

従つて、この要求を日本政府が拒絶した場合(拒絶し得るや否やは問題であるが。この点はしばらく措くとして)或いは当該連合国内に日本国民の財産が存在しない場合を仮定して、その場合連合国がいかなる要求をするかを推測することは無意味であると考えられる。仮りに右の推論を進めるとしても、その場合連合国が自国内に現に在る財産、若しくは全くない財産(この場合は、その額をいかに算定すべきかも問題であるが)に代るべき金品を日本政府に要求するであろうと断定するに足る格別の根拠も理由もない。

以上の諸点より見るときは第一四条(a)2(1) の賠償は、通常の損害賠償と比較して、前述のごとく全くその本質を異にするものであることは明かである。日本国の行為によつて一定の損害が発生し、その損害額が確定された上で、日本国が客観的に一定の損害賠償義務を負担するというものではない。従つて日本政府が国民の財産処分を承認した事実を以つて日本政府がその行為に因つて負担するに至つた賠償義務の履行のためになした承認であると解することは出来ない。更に、この場合、日本政府が自己の負担する債務の履行に代えて、国民の財産を処分したというに当らない。即ち、そもそも「充当」なる概念を容れる余地がないと考えられる。

(ハ)  最後に、右在外資産喪失の実質的原因について一言する。

第二次世界大戦の終結に伴つて締結された諸平和条約に右のような財産処分承認の条項が存在する事実、又日本政府がポツダム宣言を受諾して無条件降伏を余儀なくされた事実より見ても、敗戦国日本政府としては、連合国政府と対等な立場において、平和条約を締結し、若しくは連合国による日本国民の財産処分を最終的に拒否しうる自由な地位にあつたものとは到底認められない。

平和条約の文言の上からだけ見れば日本政府がその意思により国民の財産処分を承認し、それら在外財産の外交保護権を放棄したものとの解釈を容れる余地があるとしても、実質的には右の承認は日本政府の意思を越えた場に於ける不可避のものであり、その意味では形式的なものにすぎないと解される。

従つて、原告等の日本国民の在外財産喪失による損害の実質的原因は、日本政府の財産処分承認に在るとの主張は当らず、強いて言えば、その損失の原因は、日本国の戦争遂行及び敗戦という事実自体に在るといわざるを得ない。その意味では、原告等の損害は、今次の大戦により一段国民が強いられねばならなかつた犠牲と何等異る所はない。

これらの損害が政策的に判断、処理せられることは別論として、原告等主張の連合国の処分によつて蒙つた損害を、通常の状態において、日本政府が国民の個々の財産権を収用する場合と同一に事を理解してする、憲法第二九条三項に基く原告等の主張は失当というのほかはない。

三、よつて、原告等の被告に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 地京武人)

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